アボリジニの精神性

  アボリジニの精神性とはどういうものなのか?アボリジニはどんな世界観を持っているのか?

  まずアボリジニを理解するには、精霊の存在の謎を解かなければならない。農耕民族と狩猟民族のページでも少し触れているが、精霊とは通常の目、通常の意識では見ることの出来ないエネルギー体である。解かりやすいように馴染みのある日本の古事記(ただし、古事記は縄文からのヤポネシア固有の神話ではなく、ユダヤ教の根幹を成すカバラが基になっているとも思えるつくりから秦氏、忌部氏、物部氏などの大陸から渡来した在日ユダヤ系の人々が創りだした神話の可能性が非常に高い)の有名な陸地、オノゴロ島の創造神話を見てみると、イザナミ、イザナギ(ナギとナミも蛇を表している)が天の沼矛を持って、天地の間にかかった橋(虹)から海をゴロゴロとかき回し、引き上げた矛の先から滴り落ちた塩が積もってオノゴロ島になった。とあるがこれを目で見える範囲で捕らえれば、地殻変動か何かで渦を巻いた海から陸が出現した情景を表しているのであろうが、エネルギーとして観ることが出来るとそこには天と地が交わった事(雨)によって生まれた虹の上から男性的エネルギー(矛、つまり男性器)と女性的エネルギー(海、つまり女性器)が渦を巻きながら交わることによって放出されるエネルギー(精子)が海底(子宮)へと到達し、陸地(新しい大地)を形成していく様子を捉えることが出来る。解りやすく言うと、男と女が交われば二つの意識は絶頂へと向かう。そのとき、植物の蔓や台風や、もっと身近な所では風呂の水を抜いた時の水の流れ方から分かる様に意識は宇宙の法則である渦を巻いて上っていく。そして爆発と共に肉体も、意識も1つに統合され新しい生命が生まれる。このプロセスが陸地の創造であり、根本的エネルギーがイザナギ、イザナミという精霊として登場するのである。

  このようなことからこの世に起きていること全て、この世に存在するもの全ての根本は陰と陽の働きによって生み出され、精霊界と現象界も互いに影響しあって時空を生み出しているのであり、神話世界の内にあるのである。つまり精霊とは「目に見えない裏の実態」といえることが出来、この世は神話世界と同フィールド上にあるともいえる。

  このことを当たり前に理解し生活しているアボリジニは、現代人がゴミと思うものもゴミと思わないし、ゴミという概念があまり無い。たとえばガラスの破片が落ちているとする。現代人が最初に思うことは危ないという思い、次に無用のものという思い、そして片付けようとする行為であろう。ガラスの破片を存在としてみるのではなく、概念によって見るからである。 
しかしアボリジニはガラスの破片がそこに至る経緯を見ることが出来、ガラスの破片をガラスの破片として捕らえ、次に使い道を考える。要するにそこに有る物にはそこに至る経緯がありそこに来たるべくして存在しているという事を万物に対し理解しているという事だろう。

  だからその辺で落ちているガラスの破片でカンガルーの肉を切り分けたり、イダキや工芸品を削ることに使う。お菓子の空き袋でもそうだ。その辺に落ちているお菓子の袋に木の実を入れて運んだり、何かと使い道を考える。アボリジニの精神は常に裸であり、未だ個々が神話の時代から続く聖なる旅路の途中であり周りのもの全てと共に生きている。

  そして、アボリジニの数々のシークレットとされている歌には男女の性愛に纏わる詩が多々存在しているが、その事から分かる様に陰と陽を繋ぐものは愛である。

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